熊本の城下400年の歴史が創った職と食の街・新町

 

    

   

   

 

 獅子舞にとってとても大切なことがあります。獅子を舞うには獅子頭がなくてはなりません。獅子頭を製作すると云うことも大きな伝統文化と云えます。新町には京都より下って熊本に居を構えた厚賀家が人形師として新町でその技を発揮されたそうです。(初代西陣屋新左エ門・文化元年/1808没)(細川家十代目、斉滋公の頃か)当時の活動については詳細は不明です。それから六代目として友七氏の名前が獅子頭製作に携われたと聞き及びます。また獅子頭の原型ともいえる獅子頭の作り物が藤崎八旛宮に宝物として保管してあり厚賀新八郎氏もそれが新町獅子の原型ではないだろうかと云われます。

 ここに新町獅子に携わる者として獅子頭を写真として初めて目にしたのが①です。昭和5年と云われますが、何十年ぶりかで当時のぼした祭(藤崎宮例大祭)に参加した時の獅子連の様子です。(伝承1の最下段写真)この獅子頭は、明治40年ごろ厚賀友七(六代目)の作と云われます。

       厚賀家と新町獅子

 厚賀家の詳しい物語は後日にということでこの六代目友七氏の作られた獅子頭が大正時代から昭和の戦後数年を舞のシンボルとして活躍してきたと云えます。九代目、新(あらた・通称荒太)氏は先の大戦(太平洋戦争)前から獅子の舞手として大活躍された。人形師としても新町の厚賀としてその技をしっかり確立され、昭和34年に獅子頭を自ら製作された。②の写真

 ③は荒太氏三男、昭男氏が昭和60年に作られた獅子頭。

 ④は厚賀家十代目、新八郎氏の製作獅子頭。(平成26年)

 もう一つ、平成3年に獅子の後継者として誕生した『子獅子』用に小さめの獅子頭を昭男氏が製作された。

 ただ今のところ獅子頭の状況ですが、獅子頭はほぼ30年の周期を経て新たに製作されているようです。“頭“を戦災や火事・風雨から大事に守り、祭に備えてきた先人の人々の苦労が一杯つまった獅子をまた後継の人々がしっかり守っていくとということで新町の存在はあったのではと想像いたします。

   年代不詳/牡丹の舞演舞中(昭和10年代か)       

     藤崎八旛宮での奉納舞/牡丹・平成27年

 

 

 

 

 

 

 

 

   新町獅子の原型と推測される藤崎八旛宮に収蔵の獅子頭

 

 ① 明治40年頃作られた獅子頭(厚賀友七作・六代目)

      昭和5年当時の写真

 六代目友七氏による獅子頭・昭和28年撮影された写真

 明治末から大正・昭和20年代まで活躍した。

      ② 昭和34年・厚賀 新氏(九代目)作

      ③ 昭和60年 厚賀昭男氏(新八郎氏 実弟)作

      ④ 平成26年 厚賀新八郎氏(十代目)作

 

作業場で人形の製作に余念がない 新氏(大正元年/1912~平成14年/2002)

 

         

 

 

            

 

 

    

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